自分のやっていることに根拠などない。いずれ死んでしまう。その先も世界が続くかどうかはわからない。
その都度、正しいと思うことをすること。
誰かの声に惑わされることも、自らの情念に引きづられることもある。理想と現実の乖離に悩まされ、自分の道を見失うこともある。
しかし、道などない。
人は何かの目的のために存在してはいない。ただ自らを参照し、誰かと比較し、時に落ち込み悲しみ絶望する。この絶望にあってそれでも前に進むこと、むしろそれ以外に選択の余地がないということが生の苦痛。
この歩みは中断することを許しはしない。唯一止められそうな方法は死であり、それが絶えず私たちを誘惑するだろう。この誘惑に屈しないこと、そして屈したと認識することはもはや不可能だと理解すること。
真に明晰な理性ならばこのことを認識できる。自らの落ち度を認めることができるのが理性だからだ。この束の間のまどろみの中で、私たちはなにを掴みうるのだというのか。
それがないことはとうの昔に気がついている私たちがいったい何を欲するというのか。
前も後ろも前後左右、あらゆる座標の類はあたかも融解し、もはや何一つ信ずるに値するものはなくなってしまった。ニーチェはそこでなにを言ったのか、バタイユはそこで何を訴えたのか。
ニヒリズムに達し、それ以降があたかも茫漠とした真白な砂漠が広がっている地平を前にして私たちは恐れおののき、それまでにあったあのオアシスに戻ろうとする。
そのオアシスもまた幻影であるとしっているのに。
なにもかもが色即是空、空即是色と唱えて終わらせていいとでも思っているのか。
君はそれで満足なのか?
君は深淵を見たのではないのか?君にはもはや何一つ信じるに値すること、行動する一切の理由のなさ、存在の根拠のなさを見たのではないのか?
それゆえ苦痛を覚えているのではないのか?
はやく認めてしまえばよいのに。この世界の無根拠さ、現実は薄く脆いものだと。その上で何をしてもまったく虚しく、意味などないことを。君が信じるに値することを列挙してみよ。もし可能ならば。
できぬ、そうであるならなぜ君はそこを離れないのだ。
なにが君を引き止めているのだ。恐れか?
なにに対して恐れるというのだ。今君のいる場所を見てみたまえ。真に恐るるはその場所ではないのか?
なにが君の思考、そしてあの輝かしい明晰さを鈍らせているのだ。自ら愚鈍になることで、目をつぶり、耳をふさぎ、その一生を終えたいと心から願っているというのか?
一切は許されているというのに。